2008-01-01から1年間の記事一覧

井伏鱒二

猪瀬直樹の『ピカレスク』に書かれている井伏鱒二が凄い。というか、井伏鱒二、すげぇ。学生のころに森鴎外に手紙を送ったり(しかも、教養高い老人を装い!)、大宅壮一に「君は年をとると婆さん顔になる顔つきだ」といわれたり、東京に出てきてトンカツに…

劇団地上3mm、第六回公演

劇団地上3mm、第六回公演 「落下傘−夏の終わりに師について考える一週間−」 八月二十四日から三十一日 処、吉祥寺bar drop坂口安吾「霓博士の廃頽」 太宰治「駈込み訴え」 川口典成「夕焼け先生についての壱試論」毎晩、三本の作品を連続上演。

大雑把、エリアーデへの私見

宗教学者にして小説家のミルチア・エリアーデという方がいる。近代の直線的時間(ユダヤ・キリスト教的時間)に対して、原始的時間としての「永遠回帰する時間」があったとし、原始的人々は神々の近くに生き、神々の物語をまねる(アーキタイプを繰り返す)…

ジョーネン

ところで情念はしばしば感覚と混同されがちである。しかしこの二つはまったく次元の違うものなのだ。感覚は外界、もしくは体内から発信された刺激を専用の期間で受信する生理的なシステムであり、情念はむしろ言語に近い。言語そのものではないが、その周辺…

「みんなまとめてかかってキヤガレ」

しかし今や、幸運の助けがあって、私たちはもう他者からの決定(ドグマの形をした)を待たずに自分の欲する体験を持つことができる。そういう時代が、束の間かもしれないがやってきたのだ。そうしてまた、今日までのところ私たちは、この体験の成果を自由に…

森のなかで風が吹き抜ける、

「森の中にあなたがいて、風が吹く」といったときに、その<森>は落葉広葉樹林なのか、照葉樹林なのか。その問いは、あまり本質的でないだろうと思っていたけれど、そんなことはないのであろう。鎌田東二さんの本を読んでいて、改めて気づかされる。ふたつ…

まえからそうですかね。

江口洋介と森高千里がCMで共演している!

とても当たり前のこと。

チェルフィッチュの話をしていて、「まるで友達の話を聞いているかのように話がイメージできる」ということが素晴らしいと思った、と昨日知り合った方が話していた。そうか、そうだよな。たぶん当たり前のように気づくべきことがうまく意識化されていなかっ…

えいが

早稲田松竹でみた映画が本当に素晴らしくて、ひさしぶりに心奪われた。二本立てのマリア・カラスの映画を続けてみたが、さきほどの監督とのセンスの違いに拒否反応を起こしてしまい退出。さいきんは、本を読んでいます。生きています。八月末に公演やります…

あがた森魚、かく語りき

「僕が大正や昭和に想ひを駆せるのは決して単に楽しそうだったからではない、単に悲惨でやるせなさそうだからではない。それは想い込みであり、想ひ入れでしかないのかもしれないが、あの時代の彼らの方が十数倍、僕らより生き合い、殺し合ってしまうことの…

「鋭く図式化せよ!」

タイトルの、この言葉を思い出しながら帰宅。自分はそんなレベルはとうの昔にクリアした、と思うけれど、だといっても、それは自己満足なのである。結果、クリアしたことを提示できていないことがいけない。クリアしたけれど、クリアした上で、それでも、そ…

今日はさらに、ただの駄文である。

そこでの時間はただ、その場所でしか出会えず、また、その時間、過ぎ去ってしまう時間、あるいは共有することができる時間、というもののためだけに存在していることが、とっても楽しい。少なくとも、役者は道具ではない。みな(演出家も共演者も、そして観…

車谷長吉

車谷長吉『鹽壺の匙』のなかの「萬蔵の場合」を読む。 席がはてたあと、酔いが廻った頭の隅で、「世の中いうたらそんなもんやで」という、聞いた風な台詞を、私は思い浮べた。が、あとでこの「もん」は空恐ろしいと思った。わたしはこの「もん」を内側から喰…

ポツドールを観る

予定が変わって時間が空いたので、下北へポツドールを見に行く。なんというクオリティの高さ!とりあえずいまの気分は、人一倍というか人五倍ぐらいありそうな腕からパンチを二発ぐらい受けて、そのあと、若干のインターバルを挟みながら、も、地味にボディ…

バーミヤンにて

夜ご飯を食べてなかったし、本を読むのにちょうどいいと思って、近場のバーミヤンに行く。隣の席でどこかの演劇団体が揉めていた。なんだかとっても、ご飯を食べたり、本を読んだりする気分ぢゃいられなかった。けど、がんばって食べた、読んだ。ギリシャ悲…

エイプリル・フール

エイプリル・フールだ、と、古臭いことを思いながら、そうか、映画が千円である、と思い、ウォン・カーウェイ監督作品「マイ・ブルーベリー・ナイツ」を観に行く。カップルに囲まれてみるはめになるだろうと想像(期待?)していたが、そんなこともなくて、(…

ミテクレなんか気にしてられぬ。

鎖から放たれた獣がみたい。 あまりに自由で、あまりに美しかったり可愛かったり、そしてとっても恐ろしかったり、そこだけでしか生きることのない、そんな魅力が溢れている、ここにしかしないから、これをミテクレ!と叫んでいる、とっても嬉しそうな、そん…

「宇宙そのものを書けないやつに、宇宙の裂け目は描けない」

ピナ・バウシュをはじめてみた。さいしょはなんで一番安い席で九千円もするのだ!ぼったくりだ!とプンプンとしていたのだが、始まってみるともう、そんなことよりも、凄いっていうことで、(なぜかここまでの文章に平仮名が多い。なぜ?)ちょっと消化しきれ…

いいことあった

ほぼ睡眠を取れない状態で、朝から大宮に。駅で立ち食いそばを食べる。かけそばを頼んだら、次の人のと間違え天玉そばが先に出てくる。おばちゃんが「食べる?」と聞いてくれたので、「よろこんで!」とはまさか言わないまでも、「はい」と返した言葉に隠し…

なんだかみんな楽しそうである。

吉祥寺で二十二時オープンの飲食店にいこうとおもって、十九時ぐらいからマックにて最近おいしくなったといわれる百円コーヒーを飲みながら(たしかに、黒い液体ではなくなっている!)、待つ。松浦寿輝『川の光』と吉沢伝三郎『和辻哲郎の面目』を読み終わ…

セルロイド色の街並みのなかで平坦になってゆく君と、ランデブゥー!

森山大道『犬の記憶』「八月の旅」より引用 少年の頃、二階の窓からのぞむ遠い夕焼け空を眺めて、暮れなずむ遠い山脈の向こうがわには、キラキラと眩い夢の町があるのだと思っていた。その光り輝く賑やかな町に、僕はよく夢想のなかで歩きにいった。そんなと…

またまた本を見失う。

有吉佐和子の『一の糸』を読んでいたのですが、まぁ、たまによくありますが、本を失ってしまいました。失ったといっても、見失っているだけで、きっと我が部屋のどこからかそのうち現れるはずです。いえ、出現することを希望します。なんとはなしに、グロツ…

鹿男あをによし

毎度毎度観ている「鹿男あをによし」。ストーリーというか、設定が至極好みであるというのはあるが、テンポというか一話一話で明らかになる謎が少ない。ミステリー仕掛けになってるはずなのに。というかわかっていることを長々と、いつまで伸ばすんだこの野…

ひたすら

ひたすら本を読んでいる。デスノートを五巻まで読んだ。続きが気になって仕方がない。よくおぼえてないけれど。映画版の後編を見たら面白かった。プロットがすこぶる刺激的なのだろう。台詞がただのプロットの説明以上のなにごとでもなくて、うーむ、と思う…

趣味悠々

テレビを見ていて疑問が浮かんだのだが、餃子は家で作らないのが常識なのだろうか。あれか。うどんとかそばみたいなものなんですか。麺から作る人は趣味悠々的だと思うけど、餃子を(皮から作るってことではなく)皮を買ってきて具をつめるのも趣味悠々的な…

寒い寒いと思ったら窓があいていた

デスノートの映画版、前編をテレビで見た。あまりに作品としての格調がなくて、ちと期待外れ。後編は面白いとの話もある。デスノートの原作漫画は三巻までしか読んでいなくて、しかし、その三巻は三日連続で一日一巻購入した。なぜか映画化が決まったとかを…

お告げ、じゃない。

今日最寄り駅を歩いていたら、突然後ろの人が「男の青春を70まで生きろよ!」と声を発した。声をかけられたのか、そうでもないのか。50過ぎくらいの男性だった。

薔薇のない花屋と三軒茶屋

野島伸司脚本『薔薇のない花屋』の一話をみて驚く。香取と彼女の間に子供が生まるが彼女は死んでしまい、その後、子供が小学生になるまでの香取と子供、二人の断片を追うシーンから始まったのだが香取の顔がほぼ映されない。月9だろ?と思った。いちおう理…

『赤目四十八瀧心中未遂』

車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』を読む。年はじめに、一週間ほど大阪近辺を当て所もなくうろついていて、その体験がなければ、イメージの源泉がなく楽しめなかったかもしれない。まだまだ自分もお子様である。あと、『自由死刑』にも感じたのだが、会話文…

テレビでは

島田雅彦を原作とした「あしたの、喜多善男」というドラマが先週から放映されているようで、原作『自由死刑』を読んでみた。面白い。主人公以外の登場人物が、かなりのご都合主義なところも含め、面白い。この小説にはご都合主義が必要だったのだ。この作品…