セルロイド色の街並みのなかで平坦になってゆく君と、ランデブゥー!

森山大道『犬の記憶』「八月の旅」より引用

 少年の頃、二階の窓からのぞむ遠い夕焼け空を眺めて、暮れなずむ遠い山脈の向こうがわには、キラキラと眩い夢の町があるのだと思っていた。その光り輝く賑やかな町に、僕はよく夢想のなかで歩きにいった。そんなとき僕はいつも透明人間になって、夢の町に住む少女たちに逢いにいくことになる。少女たちは、貧しい靴磨きであったりサーカスの像使いであったり、花売り娘であったり西洋館のお嬢さんであったりした。たいがいそれら少女たちに淡い恋情を寄せる、というのがお決まりのパターンであったが、階下から母親に呼ばれて、暗い電灯の下の貧しい食卓の現実に引き戻されることが怖かった。
 旅のイメージにもこれと似たような感覚があるのではなかろうか。いくつになっても旅を思う気持ちはときめくものである。なってみればなるのじゃなかったと後悔する大人になっても、やはり旅先への期待はある。まさかお姫さまが待っているとはおもわないし、出掛けてみれば現実との葛藤ばかりなのだけど、やはり人々は旅を思う。ぼくにしても「旅は好きですか?」と問われれば、パブロフの犬のように、「好きです」と答える。しかし、「なぜ?」と問われると返答にこまる。いろいろ理屈ばかりがあっても、ほとんどの物事がそうであるように、旅には確答などひとつもないからだ。だから、その何だかわけのわからないものを目指して、人は永遠に旅を思いそして出ていく。


   あのひとはまだ見つからないので、
   旅をしているのです……


 フランスの僕の好きな小説のワンフレーズです。