あがた森魚、かく語りき

「僕が大正や昭和に想ひを駆せるのは決して単に楽しそうだったからではない、単に悲惨でやるせなさそうだからではない。それは想い込みであり、想ひ入れでしかないのかもしれないが、あの時代の彼らの方が十数倍、僕らより生き合い、殺し合ってしまうことの歓びと悲しみを識っていたからの様な気がしてならないからだ。あの時代の人間よりも高等になっていると過言している現代に生きてしまっている己がはがゆいからなのだ。」