2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧
(最近引用ばかりですが、今回はとくに長いです。読みに来てくださっている奇特な方々、ご勘弁ください。下のほうには引用でなくコメントを書いています。) 関井 ……(柄谷さんの「『日本文化史観』論」においての)安吾の「ふるさと」を「他者」とする考え…
猪瀬直樹の『ピカレスク』に書かれている井伏鱒二が凄い。というか、井伏鱒二、すげぇ。学生のころに森鴎外に手紙を送ったり(しかも、教養高い老人を装い!)、大宅壮一に「君は年をとると婆さん顔になる顔つきだ」といわれたり、東京に出てきてトンカツに…
劇団地上3mm、第六回公演 「落下傘−夏の終わりに師について考える一週間−」 八月二十四日から三十一日 処、吉祥寺bar drop坂口安吾「霓博士の廃頽」 太宰治「駈込み訴え」 川口典成「夕焼け先生についての壱試論」毎晩、三本の作品を連続上演。
宗教学者にして小説家のミルチア・エリアーデという方がいる。近代の直線的時間(ユダヤ・キリスト教的時間)に対して、原始的時間としての「永遠回帰する時間」があったとし、原始的人々は神々の近くに生き、神々の物語をまねる(アーキタイプを繰り返す)…
ところで情念はしばしば感覚と混同されがちである。しかしこの二つはまったく次元の違うものなのだ。感覚は外界、もしくは体内から発信された刺激を専用の期間で受信する生理的なシステムであり、情念はむしろ言語に近い。言語そのものではないが、その周辺…
しかし今や、幸運の助けがあって、私たちはもう他者からの決定(ドグマの形をした)を待たずに自分の欲する体験を持つことができる。そういう時代が、束の間かもしれないがやってきたのだ。そうしてまた、今日までのところ私たちは、この体験の成果を自由に…
「森の中にあなたがいて、風が吹く」といったときに、その<森>は落葉広葉樹林なのか、照葉樹林なのか。その問いは、あまり本質的でないだろうと思っていたけれど、そんなことはないのであろう。鎌田東二さんの本を読んでいて、改めて気づかされる。ふたつ…
江口洋介と森高千里がCMで共演している!