演劇の制度

ではそもそも青年団が目指していたことはなんだったのか、それを演劇史のなかに置き直してみる必要がある。ポツドールにしろチェルフィッチュにしろ、基本的にはアングラへの抵抗として反動として誕生した平田オリザ演劇を継承するものとされているのだから。

そこでは(日本の60/70年代の「アングラ演劇」−引用者注)、整合性をもつものとして日常的に生きられている身体なるものが、実は幼児期からの無意識的・意識的学習によって身体行動のレベルに同化されてきた「制度の束」にすぎず、そのような制度を突き破ったところに、人間存在の深い闇にひそみ蠢く隠れた真実が、荒々しい姿で開示されるだろうという共通の<期待の地平>があった。だからこそ、一方では分節言語という制度の束による阻害から脱却するために、単に「ボディ・ランゲージ」といたもう一つの隠れた制度に陥ることは避けようとしたのであるし、他方では、言うまでもなく、伝統的なバレエやパントマイム――日本でいうなら能の舞や歌舞伎の踊り――といった、すでに文化的制度としてコード化の確立した身体表現に頼ることも拒否したのである。
渡辺守章『演劇的欲望について』p77

ここで書かれていることは、<制度の束>の外を、<制度の束の外>という演劇構造によって描いてしまっては、それは<制度の束>の外としての生命を失っているということである。つまり、ロックの精神を受け継げ、みたいなことであり、アングラの精神を受け継がねば、アングラの形を継承したも仕方がないということだ。アングラが目指したものが、制度の外にある、隠れた真実への期待であったなら、アングラが発見したもの、それ自体をも制度と捉え、さらにその外へ(あるいは内側へ)いくことが必要である。演劇の形式は、演劇史のなかにおいてみないとわからないことだらけである。
青年団の芝居が、アングラの隠れた真実をあらわにしようとする<外側への欲求>に反抗・反動していたのではないか、とまずは思う。そのときに、<都市に祝祭はいらない>ということばになるのか(違うかもしれない)。日常のドラマを見つめること(それを内側への欲求といってよいか?)に意義はある。もちろん、とても意義がある。しかしながら、<外側への欲求>とは、日常と対比される、あるいは逸脱したドラマを志向していたわけではなく、日常のドラマそのものへの懐疑から始まったのではなかったか。日常のドラマで生きる身体、<制度の束>に拘束された身体への疑問から、<外側への欲求>が起こったのではないか。まとまりがなくなってきたが、<内><外>という言葉の文脈上の明確な確定がまず必要だ。そして話は飛ぶが、ここに、唐十郎のいう「特権的肉体」というキーワードをぶつける必要性を感じている。