ふたたびポツドール

ポツドールの話に戻るが、ポツドールの会話劇がクオリティが高いファクターとして、最初の一言めの重要性があるのではないか、と考えている(こう書きながら、「会話劇のクオリティ」ってなんだ、それを考えるべきではないか、と気づいた)。「愛の渦」では、たしか一言めが発せられるまでに、大音量のラジカセからの音楽によって会話が聞こえない時間が設定されていた。「顔よ」では、たしか「すみません!」という切実そうな大声の言葉が一言めだったのではないか(「顔よ」に関しては自身がない)。一言めがどこから発せられているか、どのように相手に伝えようとしたか、そして伝わったか、それは今後芝居を見るうえでの大きな指針となる。それが弱いと、クオリティの弱さを漠然と感じてしまうものだ。