ぼやぼやしているうちに

十二月である。しかももう七日である。実は深夜なのでいま八日。タイトルどおりぼやぼやしていたわけではないが、結果ぼやぼやしていたのと変わらないような行動結果である。なんともはや。

着々と『ファウスト第一部』の読解は進んでいる。バルバラのお話の挿入部分がきちんと理解できた気がする。あそこの部分は当時の逸脱者に対してのパブリックイメージを反映しているシーンなのだな。逸脱者という言葉は、生と負、どちらのイメージも重ねて用いている。グレートフェンもバルバラのお話のように語られていくんだろうか。おそらくそうであろうな。パブリックイメージは恐ろしいぐらいに強い。しかしながら、共同体のもつ言説に絡め獲られずに、いや、絡め獲られぬことは不可能にしろ、そことの対決・絡みあいとしての、ある独特な人間関係というものが溢れているはずなのである。はずである、というよりも、溢れていたい、ものである、ということだ。「グレートフェンの悲劇」とはどういう悲劇性なのか。非常に難しい。

読解は進んでいるが、上演台本の製作作業(カットだけなのだが)はまったく進んでいない。すこし急がなければ。