駈込み訴え

小説の特異性というものは存在して、あ、特異性というより、やはりジャンルに特有の武器というものを最大限に生かされた作品というものがあって、それが「駈込み訴え」なのだなぁ、といまさら当たり前の発見をしているのである。「駈込み訴え」の朗読というものは存在しているけれど、やはり、朗読というものは声であって、無形態である。演劇は、肉体があって、言葉を発する。「駈込み訴え」は肉体を拒否している。というより、肉体に還元できないものを描いている。言葉自体を描いているのである。となれば、肉体がどういうかたちえで存在すべきか。

いままでの稽古では、「駈込み訴え」の面白さをどうやって肉体に還元できるか、を試していた。出口が見えないのはその方向性の立て方が間違っていたからだ。肉体と言語の相克。とでもなるのか。しかし、これはまた、大変なことになってきた。演出家としての未熟さを実感する次第である。こんな当たり前のこと、もっと早くに気づけよ、おれ。