松尾スズキと「黒いオルフェ」

松尾スズキに特異な台詞術(過剰な会話の文体)はいったいどういう欲望に基づいているのか、というのはなににつけ気になる疑問であったのだけれど、松尾スズキの『宗教が往く』を読んでいて一つの可能性に気づいた。松尾スズキさんは「すべてに落とし前をつけたい!」のではないだろうかと。「すんません!」という台詞があったとして、そこに投げかけられる疑問として「あんたなんであやまっとんねん」とか「それ本気?」とか「本気だとしてお前の本気はどの程度やねん」だとか、「謝れば万事がOKみたいな処世術だれから教えてもらったの?」「謝るその格好は角度何度?」…とめどなく溢れる疑問をえぐる様に投げかけるのである。「落とし前をつける」からきっと、松尾作品には異常なまでの愛情が溢れているのである。違うか。(「モラトリアムを笑って許せるほど、人間の寿命は長いだろうかい」みたいな文章が、小説にあったような気がしていて、ぐっときた。)

映画「黒いオルフェ」を見た。あんま好きな感じではなかった。これは好みの問題として。最後あたりの不思議な感じとか、単に映像としては好きなんだけど、作品全体として神話との接続の仕方なんだろうけど、いまいち良く分らない。そう、結局どういう作品なのかわからなかった。どういう風に観れば良かったんだろうか。(文章が漠然としすぎている)