「肉体の門」と「阿部一族」

鈴木清順監督作品「肉体の門」を観る。生きてるなぁ、ひとが、生きている。それを成り立たしめているのは、俳優や脚本や音楽の力はそりゃあるのだろうが、断トツなのは美術ではないだろうか。なんていうのだろうか、あのリアリティ。実際にはないのだけれど、ありえたはずの場所を作り出している。僕にとっての失われた場所なのである。映画の中での美術が、戦後すぐの情景をいわゆるリアリズムにおいて再現しようとしているのではないことは自明だろう(でも、ちょっと自信がない)。プールを使ったセットはよかったなぁ。カメラワークもセットのよさを最大限に生かしている。あと、唄がいい。そう、みんなもっと元気に明るく唄を口ずさめばいいのだ。ただそれだけで人生の意味を考えているつもりゲームの状況からは脱却できるのに、と思わされる。

あと、深作欣二監督作品「阿部一族」を観る。またまた森鴎外の登場である。で、これ映画かと思っていたら、テレビドラマだった。なぬ、まぁ、たしかに違和感を感じていたところが、その事実によって解決されるのだから、うむ。とくにまとまってなにか書ける気もいたしませんが、観客を惹き付けるいうのは、なにかしでかすことではないんだよなぁ、とつとに思う。物語のなかに、しっかりと存在すること・根を下ろしていることが、確実に必要なのである。そして、意外とそれに尽きるのかもしれない(意外と、と書いたのは、いまの自分はそう断言することに躊躇があるし、むしろ躊躇というより抵抗感があるのである。この抵抗感の由来はどの辺にあるのか、それを探ることは必要であろう)。