平面化する〜

台本の完成が遅れに遅れている。にも関わらず、出来上がったところまでをうにうに直している。なんだろうか。昨日読み終わったろころまでを読みながら気づいたのだが、どうにも二次元的過ぎるのではないだろうか。という疑問である。二次元的というのは、「的」というのがついている時点で分かるのだが、ただの感触であって、特に考えて使っている言葉ではない。たとえば、松尾スズキの初期の作品はかなり二次元的であるが、『マシーン日記』『業音』は溢れんばかりの熱を帯びた空間(二次元的でない空間)である。(しかしながらひとつ書いておくが、初期の松尾作品は二次元的なシーンの圧倒的な数とくだらなさで横滑りさせていくことで、ただ二次元的ではなくなるように書かれている。)というのも、ある人から常に自分の作品は平面的だといわれ続けている。これを脱却することが課題としてあるのだが、さて、平面的とはどういうことか。そして、台本が平面的であるとはどういうことか。などと考えていたら、二進も三進もいかなくなりんして歌舞伎座に歌舞伎を観に行った。考える前に台本を書け!という声が聞こえてくる。その声よ!お前は正しい!