ゆずとスピッツ

役者に違いを聞いてみたところ、ゆずのほうが身近?な曲らしい。あとスピッツのほうが、クール―冷めている、とな。わからないでもないけれど、本当かい?と思いつつ、ゆずとスピッツのオフィシャルサイトを覗いてみると、似てる。両方とも緑を基調としたテイスト。そんな差異化に拘泥する必要がないのかもしれない。ゆずは、ネオフォークと呼ばれるジャンルに分類されたりする見たいね。それで気づいたけど、スピッツはフォークじゃない。今頃気づくなよって話かいな。

バスの揺れ方で人生の意味が解かった日曜日/でもさ 君は運命の人だから強く手を握るよ/ここにいるのは優しいだけじゃなく偉大な獣/愛はコンビニでも買えるけれど もう少し探そうよ/変な下着に夢がはじけて たたき合って笑うよ/余計なことはしすぎるほどいいよ 扉開けたら/走る 遥か この地球の果てまで/悪あがきでも呼吸しながら君を乗せて行く/アイニージュー あえて無料のユートピアも/汚れた靴で通り過ぎるのさ/自力で見つけよう 神様 「運命の人」スピッツ

上の歌詞はいつ見てもすごい。このなんの衒いも無い言葉の用い方。「運命」「神様」「愛」「人生の意味」。まあ当然、なんの衒いもないことが一種の衒い、違うか、表現?であるぐらいには洗練されてるわけだけど。

で、ちょっぴり面白い事実な気がするのだけれど、ゆずの曲の歌詞に「いつか」という単語がでてくる歌は二十曲あるみたいだ。20/140。ちなみにスピッツは、21/168。山口百恵は2/38。ピンクレディーなし。ミスチルは21/140。無条件に規定される「いつか」ってのは、面白い問題をふくんでいるんじゃないかしら。漫画NANAが面白いのは、「今この瞬間の線香花火のように楽しくて美しいとき。それはいつか壊れてしまう脆くて儚いもの」。いつか壊れてしまうことが約束されているから楽しそうな瞬間が輝く。まあ、それは当たり前かもしれないけれど、悲しいよね。そうじゃないと、いつまでも続いてゆく未来に耐えられないって。というか、いまこの瞬間の幸せは、終わることが前提されないと光り輝かないというね。あ、、さだまさしもわりと同じような確立で「いつか」という歌詞がでてくるらしいっすね。ふむ。

なぜか、まとめ。
NANAの面白さは、この瞬間の楽しさの「終り」が示されていることで、もっともっとこの瞬間が輝くことにある。切なさのアップ。一方で、ゆずとかスピッツにおける「いつか」の使われ方に見られるように、いつまでも続くだろう未来の存在がなんの拘泥もなく用いられる。この二つのなかには同じようなナイーブさが隠れているんじゃないか。と思う。ここには、タッチにおいての「カッちゃんの死」のような突き放しは存在しない。われわれの現実は結局、隠されている。はい、極論。もっと真面目に考えよう。