「誠意なんていらないっちゃ」

ちかごろ起きているさまざまな事態が自分に言っていることは、「真面目に生きなさい」という一言に還元される。

文化村に野田秀樹の「ロープ」を見に行った。面白い。と言おう。陳腐だとか分かりやすい、だとか。どうでもいい。もっとしっかり書かないといけない気もするが、どうでもいい。あれほどまで執拗に、戦争の実況を繰り返すシーンを、陳腐、と自分は言い切れない。言いたくない。といっても、「ロープ」は演劇作品の完成度としては決して高くないだろう。そして、戦争の実況のシーンでの言葉の選び方、題材(基本的に少女や女性への暴力を描くことで、客のイメージを膨らませようとすること)に問題点はあるだろう。しかし、自分にとっての問題はそんなところにはなく、千秋楽だからといってカーテンコールを何度も、拍手によって「強制」する観客、である。(「TABOO」のなかで野田が拍手について「あいつらは拍手によってるんだ」とかなんとか書いていたが)その拍手が、その気分を、「ロープ」という作品は突っ込んでいたんじゃあないのかい?物語が、ロープに囲まれたリング上で、どんどんと陰惨になっていくのは、その声が求めていたことだった、んじゃあないのかい?何度も繰り返し客に頭を下げる野田氏が悲しく見える。野田の、世界に対する悲しみと愛情の声は、いったいどこに届いているのだろうか。

ラストシーン。野田秀樹は世界に絶望しきれない。争いが全く無い世界への希望を捨てきれない。希望を無理にでも語ろうとする。そんな姿が見える。しかし、そんな姿は、カーテンコールの拍手のなかで、流れ去っていく。