稽古雑感

演劇とは結局、他人が歩いたり止まったり、喋ったり物を食ったりするのを見せる、見せられるというようなものだ(そういえば、チェーホフのかもめにそんな台詞があったような気もする)。ということは、役者とはつまるところ、歩いたり止まったり、喋ったり物を食ったりするのを見せる、ものらしい。稽古場でどうしようもないようなことに行き詰る。さて、役者はなぜ役者なぞやるのか。また、この質問は当然自分にも返ってくる。どうして脚本なぞ書くのか。演出なぞやるのか。演劇なぞやるのか。理由なんていくらでも用意できる。しかし、用意したところで何の意味があるのだろうか。だから、せめて、考えていたい。どうして脚本なぞ書くのか。演出なぞやるのか。なぜ、演劇なぞをつくるのか。役者はどうして他人の書いた言語を喋らないといけないのだろうか。あるいは喋りたいんだろうか。そこにはいったい何が待っているんだろうか。他人が歩いて止まって、喋って喰って。それが劇的であるとはどういうことなのだろうか。