ぎざぎざはあと

「海がLa merで、女性名詞であることを知った時、ぼくは高等学校の三年生になっていた。あの雄大ユリシーズの海がなぜ女性なのか、僕には理解できなかった。
 ただ、海が女性である以上、たやすく自分の裸を見せることは、ぼくの自恃が許さなくなった。そしてぼくは泳ぐ、ということに疑問を持ち始めた。
 海が女ならば、水泳は自分がその女に弄ばれる一方的な愛撫にすぎないではないか。
 ぼくは、あの素晴らしい海が、どちらかといえば母親型の海であることを惜しんだ。そしてドビュッシーの「海」という曲などは、海のエゴイズムを知らない曲であると思った。
 ある日、ぼくは海を、小さなフラスコに汲みとってきた。下宿屋の暗い畳の上におかれたフラスコの中の海は、もう青くはなかった。そしてその純情な海とぼくとは、まるで密会でもするように一日中、黙って見つめあっていた」(十八歳「海について」)
「生まれた町へ帰って、ぼくは夜、一人で寝るときに、月夜の海に向かって、ほんの少しだけドアをあけておいた。
 誰が入ってくるというのでもない。
 ただ、夢ははてしなく青い海原に幻のヨットが無数に浮かび、漂っているのであった。ぼくは怒涛の洗礼に、はじめてあこがれた。それは官能のうずきのように、ぼくの男の血をかきたてた。(そして、ぼくは寝落ちてゆきながら、真夏の海の潮鳴りを求めつづけていた)
 ぼくの中で海が死ぬとき、
 ぼくは初めて人を愛することが出来るだろう」(二十二歳「海について」)

寺山修二『誰か故郷を思はざる』角川文庫より