二幕

二幕のラストというか、芝居のラストのあたりをやってみてもらう。ほんと難しいなこの台本、と見ながら思う。今日の稽古場が近いので友人宅に泊めてもらう。友人宅で寝ながら、「アキレスと亀」を思い出す。芸術に絶望して死んでしまう男がいたなと。その描き方を思い出したのだ。人の苦しんでる姿は滑稽だとか、愛らしいとか、そんなことをいうのはたやすいけれど、そして真実でもあろうけれど、それだけでは、決してない。他人の苦しんでいる様を見て、ただつらく、ただむなしく、あるいは、馬鹿にしたくなったり、けなしたくなったり、もする。他人のたとえば「悲惨さ」をみてどうにもできない自分や観客を肯定するために、「人の苦しんでいる姿は滑稽だ」といってみてもどうしようもないのだ。だらしない日常性をだらしなく延命しても仕方がない。チェルフィッチュの岡田さんが、さいきん「僕はコンクリートなものにしか興味がない」といっていたそうだが、それにはとても共感する。