「怒る」と「怒る」

「怒り」のエネルギーというのは大変有意義なものである。だってそれは、他人について考える、コミュニケーションについて真摯に向かい合う絶好のチャンスだからである。それを逃してはならない。そうして「怒り」の先にあるものをどうにか掴み取ろうとするのだ。

以下、http://d.hatena.ne.jp/ionlylovetwice/20061113 より引用
イライラする、むかつく、怒る、という感情は全て違って、左から順番に、それしか出来ない人というのがいる気がする。一番レパートリーが少ない人は、「イライラする」しか出来ない。「むかつく」ことが出来る人は、「イライラする」も出来る。「怒る」まで出来る人は、あまりいない気がする。キレる、っていうのはまた全然別だ。左の方がスカラー量の小さい感情であって、しかし対象化の度合いも低い(だから擬態語的なのである。「イライラ」が一番直接的で、次は「ムカ」)。したがって、右に行くほど、自分だけでは済まない感情になっていくとも言える。左の方は、自分だけで済んでしまう感情だ。

勝手に引用させていただくが、前この記事を読んだときに、しかしながら「怒る」というのは技術であって、感情にはならないのではないだろうか。「怒る」よりは「イライラする」の方が、他人への拒否反応、スカラー量は多いのではないか、と思ったが、いや、ちがうか、これは「イカる」と読むのだな、とやっとこさ、理解する。そこで思うのだが、つまり、「イカる」と「オコる」とはまったく違う種類の状態なのだろう。