あるいはリアルさについて

現在AM4:00。明日の朝十時には新宿にいなければならないのに果たして起きられるのであろうか(いつも新宿、と打とうとすると、間違って心中区と打ってしまう、いや、ほんとに)。いままで台本を書く際に、草稿みたいなものは必ず手書きで書いてからパソコンにタイプしていたのだけれど、今回初めてパソコンから書いたりしてみている。手書きでも書いているのでハイブリッドだ。ハイブリッドといいながら、結局参考にするデータがノートやらパソコンやらと散乱していて困ったものなのである。ちかごろ台本での自分が書いた台詞に対する違和が大きくなってきていて、しかし、違和感なんてあってしかるべきなんじゃないかと思ってみる。自分をどれだけ言語世界に向かって「投げ出せるか」じゃないだろうか、違うか。「投げ出す」ときに、自分なりのベクトルをどれだけ強く持っていられるか。そんなことな様な気がしている。

そこで彼(坂口安吾)がいったのは自然主義的リアリズムだけでなく、人間がとりうるあらゆる形態が"リアル"なのだということです。現実的に生じないかもしれない、存在しないかもしれないことも、この意味で"リアル"なのです。
柄谷行人坂口安吾中上健次講談社文芸文庫