電車の中で考える。

演劇とはなにか。
って思ったときに、たとえば、大学の先生を読んで授業をしてもらおう。「授業」というタイトルで、チラシも作る。で、当日パンフレットに「これは演劇です」と、大胆にも書いてみる。


そうすると、それは演劇なのだろう。
というか、演劇です。


「舞台上にたつ身体してないよね」
舞台上にたつ、ということが、無批判的に「演劇」をする、そして、「演劇をする身体」。特定の「演劇をする身体」。ということにつながっていくのなら、それほど空しいことはない。身体、ということばを使った瞬間に、あるひとつの「身体」が意識されるようになってしまっている演劇システム。が、あるとして。
さて、じゃあぼくは、どうやってその「身体」という言葉を使おうか。
使うまいか。
いまいちど考える。えらそーに、考える。