席を譲る

電車の中でお年寄りに席を譲らないことを揶揄して、
「本を読む振り寝た振り、知らん振り」
みたいな標語が書いてあったのだけれど、
どうなのだそれは。

席を譲りたい。と思っている人はいくらだっていると思うのだ。
しかし、席を譲りたい、という衝動から、
席を譲る、という行為までのプロセスが
途方もなくめんどうくさい。
まず、たとえば、


以下、ある人物の頭の中の思考。


「席を譲った方がいいのかな。あ、でもあの人、そんなに年取ってないし、
席を譲るとかいったら、傷つくかな。はたまた、怒られるかな。
や、でも譲るべきだよな。
でもちょっと席が遠いな。
立ち上がって声をかけにいく間にあの若いやつ座ったりすんじゃねえかな。
それかなりむなしいな。
じゃ、立ち上がると同時に「ここどうぞ」って声かけようかな。
いや、でもそれじゃあ偽善者っぽいなあ。でも偽善者だからいいか。
いや、そういう問題じゃなくて、逆に、何が逆なのかわからないけど、
あのおじいちゃん恥ずかしいかな。
大きな声で「どうぞ」とかいわれて。
「いや、わたしは大丈夫だから」とかいうかもな。
え。そうなったら、おれどうなんの。
「あ、そうですか」
って座るの?え。あり得なくない?
みんなから「なにあいつ」てきな?デシャバッテンジャネエヨ。みたいな。
うわー。どうしようかな。恥ずかしくなってきたな。
ていうかあのおじいちゃん乗ってきてからもう一駅たっちゃったよ。
遅っ!ていうね。いまごろ言い出したら、「え、なに?」みたいな。
マジで。え?だれか他の人が立つのとか待ってたの?
なに?仕方がないから俺がたってやるぜベイベーみたいな?
うわー。ないわー。あ。
おじいちゃん降りちゃった。」


というようなことはよくあるわけです。
はて。だからといってこの人物を正当化したいわけではないですけどね。
まずはその辺をわかってもらえたうえで、標語とか作ってほしいです。
いいこといってるぜ、みたいな。やめて。
このへんが、かゆい。っていうか、モガー。