西島大介について

インターネットというか、ブログで西島大介についてみてみると、どうも自分の意見とは違って、『凹村戦争』よりは二作目、さらに二作目よりは三作目の方が好かれているらしい。つまりは『ディエンビエンフー』はわりと評価が高い。

http://d.hatena.ne.jp/kinutakotsu/mobile?date=20050905

上記のブログの『ディエンビエンフー』の感想は非常におもしろかった(携帯からだとトラックバックできないようだ)。過剰に語りすぎること。身体と言葉との在り方。
じぶんが『凹村戦争』が好きなのもおそらくそこに関係ある。が、じぶんにはどうも『世界の終わりの魔法使い』『ディエンビエンフー』は、〈ただ〉過剰に語っているように思えた。ということか…。担保、という言葉がでてきたが正しいのか否や。

うまくまとまらないけど、西島作品を読むことは自分にとって大切な何からしい、と確信したりした


漫画には漫画固有の表現がある。同じく漫画のなかでも、作品それぞれにそれぞれの表現形態がある。頭ごなしに表現を読んではいけない。自分と作品を繋ぐこと。チューニング、という作業について思いを巡らす。



実はそんなことより
茶店でとなりになった伯父さんが、自分を避けて席を移動したことを思い出してはショックを受けているのでした